【西武】松坂大輔引退で妻や子供はいま・・・【ライオンズ】

松坂大輔引退 アイキャッチ

松坂大輔氏が今季限りで現役引退

今月6日、元メジャーリーガーで、現在西武ライオンズに所属する松坂大輔氏(40)が、今季限りでの現役引退を決断したことが分かった。日本球界復帰後、ソフトバンク、中日を経て、昨年から古巣の西武に復帰。しかし同年7月5日に「脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術」を受け、その後は1、2軍ともに登板なし。現在は練習も行っていない。

日米通算170勝を挙げ、目標として200勝も掲げていた「平成の怪物」が、23年間の現役生活に幕を閉じることとなった。引退後の活動については未定で、東京五輪やシーズン途中のチームに考慮し、引退会見も後日の運びとなるもようだ。

松坂大輔氏とは

松坂大輔氏は1980年9月13日生まれ、東京都出身の40歳。横浜高校卒業後、ドラフト1位で西武入団。07年にレッドソックスに移籍し、インディアンス、メッツを経て、15年にソフトバンクで日本球界復帰。18年に中日に移籍し、20年に西武に復帰した。現在日米通算成績は376試合に登板、170勝108敗2セーブ、防御率3・53である。

現役引退の理由は?

日本球界復帰後、引退は常にささやかれていたが、「マウンドに立ちたい」との一心で本人は常にそれを否定してきた。しかしこの度引退を決意。その真意とはいったい何だったのか。

手術で失った指の感覚

西武に復帰した昨年の7月5日、「脊椎内視鏡頸椎手術」を受けた。その数カ月前から右手のしびれが抜けずに決断し、成功なら2~3カ月で投げられるようになるとの見通しだった。しかしこの手術で、重要な中指の感覚がなくなった。術後すぐは皿やグラスを気をつけて持たないと落としてしまうほどだったという。

復活をかけた今季。3月21日に初めてブルペン入りし、4月末には打撃投手を務める計画を話し合うなど、おぼろげながら復帰への道のりが見えていた。しかし5月上旬のブルペン投球で、打者は立っていなかったものの、右手中指の感覚がないまま、球が右打者の頭部付近に抜ける症状が出た。

この1球が決断への引き金となったことは想像に難くない。5月中旬以降は練習から離れ、治療に専念していたが精神的に限界が来てしまったのだろう。近い関係者には「右手の指の感覚がない。これ以上、チームに迷惑をかけることはできない」と話している。

どうしてここまで続けてこれたのか

今回引退を決断した松坂氏。肩、肘の手術に加え今回の首の手術と、手術を受け続けている。むしろなぜ今回まで引退をしなかったのかが疑問であるが、それにはある理由があった。その理由とは、「松坂世代」の選手が次々と辞める中、「お前の頑張りを見たい」「お前だけは最後まで輝いていてくれ」との世代の思いを受けたからだ。

昨年11月10日、阪神・藤川球児の引退セレモニー。「ライバル松坂大輔へ。必ず投げる姿を見せて、世の中の人を元気にしてください!」の言葉には、テレビの前で涙を流したという。

渡辺久信GMのコメント

今回の引退に関して埼玉西武ライオンズ渡辺久信GMは、「このような決断に至り、本人も大変悔しい思いをしています。昨年7月に手術を受け、それ以降も「メットライフドームで勝利する」ということを目標に大輔自身、厳しいリハビリに耐えながらここまでやってきました。」と回顧。

「ライオンズファンに自身の姿を見せることができていない日が続き、体調面もなかなか向上せず、ずっと苦しい思いをしてきたと思います。実際、今年もここまでずっと、球団施設などで毎日復帰に向けて必死にリハビリやトレーニングを重ねる大輔の姿がありました。 大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です。今は双方の回復に専念をさせていただきたく、ぜひ皆さまには彼のことを引き続き、温かく見守っていただけますと幸いです。」と松坂氏の現状を語った。

引退にかつての盟友もコメント

タレントで歌手の上地雄輔氏が今月7日、自身のインスタグラムを更新し、松坂氏への感謝をつづった。上地氏は高校時代1学年下の松坂氏とバッテリーを組んだことでよく知られている。上地氏はレッドソックス時代の松坂のユニフォームの写真を投稿し「ありがとう #松坂大輔選手」と短くメッセージ。

上地氏はその後、自身のツイッターも更新し、「分かってたハズだけど、やっぱ少し…いゃスゲー淋しい。あいつが辛い時なんて言ったかなとか何回笑わせられたかなとか、心だけでも上手くリードできたのかなとか」と問いかけた。「頑丈で傷跡だらけの心と身体。いっぱい休ませよう」とつづり、「これからも、しまっていこーぜ」と締めくくった。

元西武監督・井原春樹氏は

恩師で元西武監督の伊原春樹氏もコメントを寄せた。井原氏は「私も西武のユニホームを着た松坂の雄姿を見たかった。去年、西武に復帰して松坂本人も古巣のマウンドで投げることを楽しみにしていたと思うけど、こればかりは「いたしかたないのかな…」というのが率直な感想です。」と心境を語った。

引退については「松坂は、とにかく投げたがり。私が西武の監督をしていた時も、先発登板時の7回、8回に『交代しようか?』と声をかけても『いや投げます』『まだ大丈夫です』と絶対に自分から『交代します』とは言わない選手だった。それだけに今回の決断はつらかったことだろう。野球人生の最後の最後に、自分からマウンドから降りる決断をしなければいけなかったわけだから。」と松坂氏の気持ちを慮った。

松坂大輔氏の軌跡

今回引退する松坂氏。いまでこそ試合に出ていないが、松坂氏は「平成の怪物」と呼ばれていた。その由来などの軌跡を少しだけ紹介したい。

横浜高3年の98年に春夏連覇を果たし、夏の甲子園の準々決勝、PL学園戦で延長17回、250球を投げ抜き、決勝の京都成章戦でノーヒットノーランを達成した。西武では入団1年目に16勝を挙げ最多勝に輝くなどし、「平成の怪物」と呼ばれた。

06年オフ、史上最高額の約5111万ドル(当時約60億円)でレッドソックスへ移籍。1年目には15勝を挙げ、ワールドシリーズ制覇に貢献。シドニー、アテネ両五輪に出場し、WBCでは第1回、第2回大会で連続MVPとなり、連覇へ貢献するなど日本のエースとして球界を引っ張った。

松坂大輔氏の妻や子供はいま

松坂氏には妻や子供もいるが、引退した後はどのようになるのか。現在松坂氏とその家族は別々に暮らしている。松坂氏は妻と子供3人の5人家族であるが、その妻の意向で、当時松坂氏が所属していたレッドソックスの拠点・ボストンに暮らしているのだ。松坂氏が引退した場合、現在の家族の暮らしは変わってしまうのだろうか、そこらへんについて深堀りしていきたいと思う。

そもそも松坂氏の妻は誰?

松坂氏の妻は元日本テレビのアナウンサーである柴田倫世(しばたともよ)氏である。2004年に松坂氏と結婚し、日本テレビを退社した。05年以降には松坂氏の遠征中に芸能活動を再開するなどしていたが、07年のメジャー挑戦でボストン移住するのを機に芸能界とは距離を置いている。

子供の名前や、今何をしているのか

松坂夫婦の間には05年に長女、08年に長男、10年に次女が生まれているが、それぞれの名前は長女以外公開されていない。長女の名前は日光と書いて「にこ」と読むらしい。

そんな松坂家族は先ほど説明した通り、日本とアメリカで別々の暮らしをしている。月額家賃400万と言われるボストンの高級マンションに住んでいるらしく、学校や、様々な習い事もボストンで行っているらしい。その学費総額は習い事を抜いても1000万円以上だという。

子供と意思疎通が取れない?

そんな家族のボストン生活には弊害も出ている。子供たちはアメリカで育っているため、英語が堪能だという。一方で松坂氏は何年もアメリカのチームに所属していながら、英語の上達がなかったと言われている。家では日本語で接していたものの、外での基本的な会話は英語であるため、日本語が上達せず、結果的に家族での意思疎通が取れにくくなったのだとか。かつては子供を日本語学校に通わせたとの報道もあった。

家族の引退後の動向は?

松坂氏が引退となれば、また家族は一緒に暮らすことになると思われる。そうなった場合、今のボストンでの暮らしは続くのだろうか。松坂氏に年俸という収入がなくなるため、月額400万もの暮らしは厳しくなるだろう。子供も大きくなってきているため、もしかしたら日本に家族で帰ってくるという可能性もありそうだ。

離婚間際・・・?

現在松坂氏と家族は別居という形になっているが、2019年に某番組で、離婚危機の情報があるという報道があった。もちろん根拠はないのだが、これほど一緒に暮らしていないとそれもあるかもしれない。特に現在ボストンでセレブな暮らしを送っている家族らのATM状態となっている松坂氏。これからこの話題に何か進展はあるのだろうか。

松坂大輔引退まとめ

今回は松坂氏の引退と家族について見てきました。筆者は西武ファンであるため、平成の怪物の幕切れに少なからずショックを受けました。引退以後はまだわかりませんが、野球解説者やコーチ、もしくは監督なんてことにもなるかもしれませんね。

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